【朗報】ゲームフリーク「ポケモン金銀にカントー地方入れたいけど容量が…。」岩田社長「ちょっと貸しなさい。」
岩田社長『自作のグラフィック圧縮ツールで…』

岩田社長『出来ました。』

こいつ凄すぎやろ…

当時の岩田さんの天才プログラマぶりを伝える数々の逸話の中でも、特に有名なものに、開発中止寸前の状態に陥っていた「MOTHER2」(1994年発売)に参加した際、スタッフ達に対し、

「このまま、今あるものを使って完成させるなら2年かかります。しかし、私に1から作らせてくれるというのなら、1年で完成させます。どちらにします?」

と提案し、全てのプログラムを組み直し、言葉通り1年で完成させた。

マジでカッコ良すぎやろ…

>>
これほんと好き

>>
アホ大勢使うより1人が頑張った方が楽なのはあるあるやね
今のゲームではもう無理やけど

>>
これで1年経っても完成しなかったら面白かったのに

任天堂の社長に就任した岩田さんは、当時世界のゲーム人口が微減傾向にあったことも踏まえ、

「ヘビーユーザーにターゲットを絞っていては、いずれ市場が死んでいくのでは」
と考えた(これはHAL研究所時代からずっと危惧していたという)。

そしてその対応策として、
「それまでゲームに触れたことのない、ゲームに関心が薄い大人や女性層を開拓し、新たに取り込む」

ために、直感的に操作できる新たなゲーム機の開発を進めた。

そして、2004年に発売したのが、タッチパネルを含めた2画面という斬新なコンセプトの携帯ゲーム機、ニンテンドーDSだ。

これがゲーム史上に残る大ヒットを記録

素晴らしい考えやね

>>
Wiiも同じコンセプトで大ヒットしたからな
しかし特に3DSとかの「枯れた技術の水平思考」はサードパーティからしたら大変なもんやろな

ガチの天才やな
なんで社長になったのか知らんけど

>>
HAL研を立て直した功績からや

>>
社長でも結果出してしまったのが悪い

>>
所属してたHAL研究所が潰れそうになった時に岩田が社長になるなら援助するって話になった
その経営手腕が評価されて任天堂の社長に一本釣りされた

>>
なんで社長でもいけるって思われてたんやろ
まあ人間みてれば意外とわかるもんか

岩田が高校生の頃、独学でマスターしたプログラミングで開発したゲームをヒューレット・パッカード社に送ったところ、あまりの完成度から
「札幌にとんでもない高校生がいる」

と評判になり、機材などをプレゼントして貰ったと言う。

子供の頃から天才やったんやな…

【朗報】ゲームフリーク「ポケモン金銀にカントー地方入れたいけど容量が…。」岩田社長「ちょっと貸しなさい。」


何十人がチーム組んで開発してても岩田一人にスピードもクオリティも負けるからなぁ

なろうじゃん

>>
プログラムの世界は割とそんなもんや
1000人の凡人より1人の天才の方が早くてバグも少ない

岩田神格化してもなあ
後継者も選びきって生き抜いた山内が天才やろ

>>
山内社長まったく別のベクトルで凄い人だね

最近でもこのプログラマーがいなかったらこういうのは作れなかったってゲームあるの?

>>
今と昔じゃゲーム制作の規模が違うしないやろな

>>
そんなのはもう無いな
ゲーム作りは金かかるから製作委員会みたいな体制になるっとるし
インディーならそういう感じのはわんさかありそうカップヘッドなんてまさにそれやと思う